来 歴


雁が渡る


五十年ほど前には
東京中野の秋の空を
鳴き渡っていた雁
そう言えば
小学唱歌にあった
静かで少しさびしげな曲
「雁が渡る 鳴いて渡る」
その鳥の名を
不思議とも思わずに歌っていた
家族そろって縁側に坐って
夜空を仰いだ記憶は
古ぼけた肖像画のように
何枚も浮かんでくるが
そのどこにも
雁の列は見えない

見えていた姿を見過ごし
聞えていた声を聞かなかった
いつのまにか
雁がね点を並べたような
うちわの絵模様の小さな陰までが
日日の暮らしから消えてしまった
鳴き声に由来するという鳥の名
中国の ガン
日本の かり
幼い私の耳に
五十年前の雁の声は
さてどのように聞えたのか

安堵すべき場所を
未だに得ない私の心は
夢の中を雁の羽で飛ぶことがある
帰るべき空が
昔の
東京中野の秋の空や否やは知らない
一途の帰心だけが夢のあとに残っている

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